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約半年間におよぶ準備訓練を終え、年が明けた2010年1月10日、私はアフガニスタンへ向けて出発しました。

コルシカ島の空軍基地から、まずパリのシャルル・ド・ゴール空港へ向かいました。

その後、空軍の大型旅客機に搭乗して、アブダビを経由してアフガニスタンにあるバグラム空軍基地に到着しました。

バグラム空軍基地は、首都カブールの北にあるアメリカ軍の基地で、その大きさは小都市ほどもあるアフガニスタンにおける最重要拠点です。

そして、我々は任務地である最前線に行く前に、しばらくバグラム空軍基地に滞在することになりました。

まず様々な手続きや装備などの準備を行った後、米軍のEOD(爆発物処理班)から対IED(即製爆破装置)の教育を受けることになりました。

IEDとはどんなもなのか、その詳細な解説を受け、実際にアフガニスタンで発見されたものを参考にしたリアルに作られたIEDの模型などを数多く見せてもらいました。

フランスでの準備訓練でも教育を受けていましたが、実際の物はさらに巧妙な仕掛けで作られていることに驚かされました。

またどんな場所にどのように設置されているのか、どんな起爆方法なのかなど、まさにこれから命に係わる重要な内容にみんな真剣な顔で聞いていました。

また、どうやって防いだり、発見するのかなどの捜索要領や車両が被害にあった時の対処要領なども訓練しました。

食事は、アメリカの民間企業が運営している米軍の食堂で食べることができ、この食事はかなり豪華で美味しかったです。

我々がいたコルシカ島の駐屯地の食事とは、刑務所と豪華ホテルくらいの違いでした。

また色々なレストランやスーパーマーケットなどあって、福利厚生が充実していて、米軍の凄さが身に染みて分かりました。

バグラム空軍基地では、NATO諸国などから様々な国籍の軍人を見かけました。

ヨーロッパ諸国のみならず、韓国軍も見かけて、そこに自衛隊がいないことに少し寂しい気持ちになりました。

そこで私は、迷彩服のポケットの中に靖国神社のお守りとそれに日の丸の国旗パッチを張り付けて入れていました。

そうして、私は日本人としての誇りを胸に、この任務に就くつもりでいました。

その後、夜間に米軍のCH47大型ヘリに搭乗して、まずフランス軍の拠点があるFOB(前方作戦基地)TORAへ向かうことになりました。

TORAに到着して、翌朝に我々の部隊が駐屯する最前線まで向かうことになりました。

翌朝、我々は装甲車に乗って、陸路でカブールの東にあるスロビという町まで幹線道路沿いに行き、そこから北上して山岳地帯の奥深くに入って行きました。

いつ敵の襲撃や地雷などの被害を受けるか分からない緊張感の中、背中に冷や汗をかきながら警戒を怠らず進んで行き、ようやく最前線の要所であるCOP(戦闘前哨砦)ROCCOに到着しました。

このROCCOという名前は、ここを建設した時に亡くなった兵士の名前からこの戦闘前哨砦に付けられました。

ここは、200m四方ほどしかない、非常に小さな場所で、バスチョン・ウォールと呼ばれる大型の防壁に囲まれ、内部はすべて天幕(テント)のみで構成されています。

ここに我々の部隊、第2外人落下傘連隊の1個中隊、フランス正規軍である第35砲兵落下傘連隊の1個小隊(120mm迫撃砲)、第17工兵落下傘連隊の1個小隊、アフガン国軍の部隊が駐屯することになりました。

ここから先は、完全な敵の支配地域であり、ここより北上すれば、ほぼ確実に戦闘になる、まさに最前線でした。

生きてここから帰れるのか、もしくは戦って死ぬのか、一つ言えることは、全員無事に帰れることはなく、誰かは生きては帰れない場所に来ているということでした。

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