私は外人部隊在職中に一度だけ、第4教育連隊に出向し、新兵教育課程の助教を臨時で4ヶ月間勤務することになりました。
すると私は要員の中で唯一現職の落下傘連隊所属の人間で、しかもアフガニスタン派遣から帰還直後の上に、区隊長(教育小隊長)や軍曹など要員の中でも、私が最も勲章の数が多かったために、新兵達にやたらと畏怖の目で見られ、ちょっと睨んだだけでびびって震え上がっていて、非常に面白かったです。
隊員指導も他の助教はガミガミうるさく説教していましたが、私はだらけている新兵を見つけては、無言で睨み付けて、しばらくしたら何も言わずに立ち去るという無言キャラでプレッシャーを与えるというやり方は効果的でした。
新兵達は、私がアフガンの話をすれば、眼をキラキラさせて聞いてるし、総合格闘技をやっていたゴツいアメリカ人の新兵にスパーリングを挑まれましたが、瞬殺で絞め技を極めてギブアップさせたら羨望の眼差しを向けられたり、ちゃんと兵士らしく扱ってやって戦闘技術をちょっと教えたりなどしていたら、ピヨピヨひよこみたいに着いてくるし、やたらと慕われるし、随分と嬉し恥ずかしい気分でした。
でも私自身も自衛隊前期教育では、空挺レンジャーの班長に憧れてピヨピヨと着いていっていたなと昔を思い出しました。
私が担当した区隊に日本人の新兵が二人入って来て、一人は元自衛官で某精鋭部隊出身で非常に高いCQB能力を持ち、イラクなどの様々な海外派遣を経験している優秀な隊員で、しかもごく普通の人が彼を見ても、どっからどう見ても自衛官にしか見えないと答えるほど自衛官らしい自衛官でした。
その一方、もう一人は元DJで自衛官経験もなく、小柄でひょろひょろで挙動不審で、睨むと怯えるくせに影では随分と偉そうなことを言っている根性なしのろくでもないやつで、私はのちに彼を伝説の史上最低の日本人隊員と名付けました。
着隊初日のランニングでいきなり膝が痛いと言い出して、医務室へ行くことになり、私が通訳で着いて行きました。
膝の古傷を隠して入隊していて、私がこれから訓練が厳しくなるし膝に後遺症が出るかも知れないから辞めるなら今だよ、と優しく時間がある限り説得しても、彼は「例え脚がなくなっても構いません。ここに骨を埋める覚悟で来ました」と熱く語って聞かないので、よしそれだけ覚悟していたら私も何も言わないと言った矢先、本格的訓練が始まって直ぐに辞めたいですと泣きついて来ました。
結局、彼は当然除隊申請も却下され、行軍でも訓練でも足手まといで、雑用ではフランス語が分からないフリして別の新兵へ変えるのを狙ったり、休憩では真っ先に行ったりして、同じ同期からも疎まれていました。
お情けでなんとか卒業し、成績は最下位で、第2工兵連隊へ配属されました。
その後、配属先でもすぐにケガで医務室に入り、治った後に食堂勤務になったものの、結局脱走しました。
もう一人の元自衛官は落下傘連隊へ配属されることになり、私と彼を含む落下傘連隊配属組と一緒にコルシカ島の駐屯地に戻りました。
しかし、彼は残念なことに訓練中に重症の骨折をして長期休養後に転属することになってしまいました。
本当に残念でした。
助教勤務は色々と大変でしたが教え子が出来たことが一生の宝になりました。
特に元自衛官の彼を教え子に持てたことは助教として誇りに思っています。
今、その彼は立派に頑張っているようで安心しています。
ごつい新兵を瞬時に‥、すごいですね。本当に使える筋肉とは‥考えさせられます。
映画 ハートブレークリッジ で、クリントイーストウッド演じるハイウエー軍曹を思い出しました。