実戦的な訓練や技術とは何かなど、よく自衛官に質問されたり、教えて欲しいと言われたりします。
ただ私の経験上、高度な知識や技術より本当に必要なことは、実戦的思考、意識の方が重要です。
常に実戦、有事、非常事態が起こることが前提に考え意識できるマインドが非常に重要で、これを意識を強く持とうとするのではなく、日常的に自然な感覚で持ち続けられるかがポイントとなって来ます。
強く意識しないと実戦的思考や有事の現実感を保ち続けられないのでは正直、不十分です。
なぜなら、人間はそう長い間、集中を保ち続けることは出来ないからです。
まるで空気を吸うように、意識しなくても自然に危機意識、実戦的思考、非常事態対応の感覚を持っていることが本当に実戦に必要なことです。
これは技術以前の問題です。
自衛官の場合、どうしても訓練、検閲に使えるかどうか、今やっている訓練に必要かどうか、という意識を無意識に持つ様になっています。
例えば、部隊では野戦ばかりで市街地戦は普段やらないから必要ない、第一線救護では負傷してもすぐに復活するので実際長距離の搬送などしない、攻撃防御の状況が中心で敵が出て来る場所は決まっているので通常の行軍中に襲撃を受けることはない、掩体での戦闘がほとんどでブレイク・コンタクトなどSUT(小部隊歩兵戦術)は必要ない等々
自衛官の中には、この様な意識が根底にどうしても浮かんでしまい、普段使わない装備や技術の必要性を分かっていても今すぐに必要とは感じていないのではないかと思います。
でも実際、今実施している訓練では普段必要ない技術や装備が必要になって来た場合はどうするのでしょうか。
実際、実戦ではどこから攻撃を受けたりするか分かりませんし、当然負傷者も発生したりします。
その時に本当に現在の訓練、装備だけで対応できるのでしょうか。
負傷した場合、負傷者をヘリや車両がピックアップできる場所まで、搬送する必要があります。
はたして第一線部隊では、一体どれだけの隊員が携帯用の担架を持っているのでしょうか。
装備も含めて80Kg以上ある人間を、しかも戦闘状況下で長距離をどうやって運ぶのでしょうか。
私は実際にアフガニスタンで、重傷を負った仲間を日本の剣岳の様な険しい山岳地帯を3~4Kmもヘリが降りられる場所まで戦闘地域を担架搬送しました。
ただえさえ、最軽量の人間でも一人最低50kgの装備(アーマーだけで25kgと、さらに背のう20kgと銃5kg)もあり、その装備で体重80kg以上の隊員と装備50kgを運ぶことになったのです。
これが訓練なら一時状況中止して、ヘリを呼んだり負傷者対応に100%集中できますが、実戦ではヘリは撃墜される可能性があるので安全地域まで戦闘地域を徒歩で搬送することになります。
その時に携帯担架がなかったらどうなったのでしょうか。
担架で搬送しても死ぬほど苦しかったのに、担架がなければ担架搬送とは比較にならないほど苦しい状況になるでしょう。
最悪の場合はそこから動けず敵の襲撃を受けて多くの死傷者が発生したかもしれません。
もしかしたら、私はそれで死んでいたかもしれません。
私自身も実戦を経験するまで、正直こうした意識が薄く、携帯担架にしてもその必要性はあまり理解していませんでした。
しかし、実戦を経験したという事実が、実戦は決して他人事ではない、確実な事実であるという強い意識が根底に芽生え、定着しました。
これによって、誰に言われなくても、訓練の必要性を強く認識し、実戦に必要な装備や訓練を率先して受けたり、整えたりして来ました。
例えるなら、東日本大震災で家族も財産も全て失くした人にとって、今後の人生はその対策は決して揺るがないものになるでしょう。
でも震災で本当の地獄を経験していない人にとっては、頭ではその必要性を理解出来ても、どうしても意識の根底からその必要性を認識することは難しいと思います。
そうは言っても、中々経済的にも仕事的にも厳しいし忙しいのだと、防災対策や訓練を考えがちになり、心の底からその必要性を認識しずらいと思います。
それは人間なら当然で、経験していないことを経験したように本気で感じることは非常に難しいことです。
実戦を経験した人間であれば理解するのにそれほど難しくないですが、経験のない人がこの段階に達せられるかが一つの大きな壁だと思います。
つまり、この実戦的思考(常に身近に自分にも必ず起こりうるという意識)さえ常に持っていれば、自ずと必要性を理解して知識や技術、装備を率先して整えて行きます。
逆にどんなに高度な技術や装備があっても、この意識がなければ、それはただの自己満足になってしまいます。
真に実戦に必要なことは、高度な技術や装備よりもこの実戦的思考、意識の方が重要だと思います。