2005年8月、パリ郊外にある外人部隊の募集事務所であるフォルドノジャンでの仮選抜を終え、市内にあるリヨン駅からTGV(フランスの新幹線)に乗り、南フランスのマルセイユに到着した。
バスに乗ってオバーニュへ向かうが、初めて見るマルセイユの中心街は、南フランスというイメージからはほど遠いいスラムのような街で、アラブ系が多く、道端にはゴミが散乱していてとてもフランスとは思えなかった。
オバーニュは外人部隊司令部である第1外人連隊があり、ここは戦闘部隊ではなくリクルートや広報、総務、音楽隊などの部署が主となる部隊である。
到着してすぐに全裸にされ、私服や荷物は回収されて全て倉庫へ入れられ、支給品の下着やTシャツ、短パンに着替え、最低限の生活品の入ったミュゼット(小型リュックサック)と小銭で20ユーロほど生活費を受けとった。
そしてすぐに知能テストを受けさせられ、知能、作業力、性格テストなど結構な量をやって頭が痛くなった。
各国ごとに翻訳されていて日本語もあって助かった。
そして終わってすぐに広場で待機。
建物の裏にある塀に囲まれた公園のような所で昼間は過ごすことになる。
フォルドノジャンから一緒だった人達の半分以上が居なくなっていて、そのまま戻って来なかった。
つまりテストに落ちて即、帰されたのだ。
ここでは各テストを受け、いつの間にか消えて居なくなるのが日常で毎日たくさんの人達が来ては去るの繰返しでめまぐるしく人が出入りする。
いつ落とされてもおかしくない状況に本当に残れるのかと不安になってくる。
10人に1人くらいしか残れない。
ここでは行動の自由もプライベートも娯楽もない塀に囲まれた空間に拘束され、常に監視下に置かれ、冗談抜きで刑務所の囚人と同様の生活となる。
朝5時くらいに起床し洗面を済ませすぐに広場へ出され、しばらくして朝食を食堂で食べる。
そしてサイレンが鳴ったらダッシュして集合して名前を呼ばれ、テストか作業に連れて行かれる。
ここでのテストはまず知能テスト、次に体力テストと健康診断があり、最後に通称ゲシュタポと呼ばれる面接がある。
体力テストは以前は12分間走だったが、変更になっていて20mを何度もダッシュして往復するシャトルランで、私自身はしっかりと体力練成を積んできたのでそれほど難しいものではなかったが中国人などは満足に走れず、倒れて吐いていたりしていた。
健康診断は視力や聴力、尿検査、問診などで、この時なぜだか尿検査で再検査をやることになって、こんなことで落ちたらどうしようかと焦ったが何とか無事パスした。
ゲシュタポでは、生まれて来てから今まで何をして来たかこと細かく聞かれた。
どこで生まれ、どんな学校に行き、どんな仕事をしたか、いつ、どこでどんな事をかなりの時間をかけて調べられた。
ここに日本人の軍曹が勤務されていて日本語で話せたので良かった。
面接では、私が自衛隊に入隊してから、どの教育中隊を出て、どの部隊に配属され、どんな教育を受けたかとか細かく聞かれた。
また、せっかく日本語で話せるならと、疑問に思ったことや聞きたいことなど質問でき、色々と知れて良かった。
その後、最低でも3回は同じ様に面接があり、担当官も変わり、英語で答えたりして嘘はついていないか、重犯罪を犯していないかなどバックグラウンドを徹底的に調べられた。
このゲシュタポでは、あの斉藤昭彦さんが、かつて勤務されていた。
斎藤さんは元自衛官で、外人部隊に21年間在籍した後、2005年5月イラクで民間軍事会社ハート・セキュリティ社の武装警護員としてコンボイを警護中に武装勢力の襲撃を受けて亡くなった。
私が自衛隊を除隊する3か月前に、このニュースを知った。
斎藤さんは、私と同じ陸上自衛隊第1空挺団出身で、その後外人部隊に入隊したという経歴は、まるで私がこれからやろうとしていたことをすでに実現されていて、こんな人がすでにいたのかと驚きと尊敬の念を抱いた。
テストを受ける以外は掃除や食堂の皿洗いなどの雑用となる。
待つ時間が長く、その間に様々な国の人と話せ仲良くなり楽しかった。
当然仲の良かった人が次々と居なくなり、さびしくもあった。
夜になるとやっと建物に入れて「ルージュ」と呼ばれる合格が決まった志願者達が、我々を管理してシャワーやベットメイクを指導する。
シャワーは一人1分もないし、どやされて満足に洗えない。
選抜中の我々は、ルージュの指示に従って、着ていた服を全て洗ってパンツ一枚の裸で整列して就寝の前の点呼を受けて寝るという一日だった。
ルージュである合格者組は、もう被服や装備品を受領されていて迷彩服を着ている。
彼らは合格して1週間後、新兵教育課程を受けるためにスペイン国境近くのカステルノダリにある第4外人教育連隊へ移動する。
ここでは毎週木曜日に合格発表がある。
そして2週間が過ぎた木曜日の昼に最終選考に残った人達が呼ばれて集まった。
これで今まで自衛隊で訓練してきた日々や、志願するために費やしてきた努力が報われるか、無駄となるのかが決まる。
この瞬間は私の生涯で忘れられない時となった。
一人一人名前を呼ばれ、「プレゾン、モンリュトナン(はい、中尉殿)」と答えていく。
口の中が乾いて震え、こんなに緊張したことは今までなかった。
しかし、いつまでたっても私の名前は呼ばれない。
もうダメかと、諦めかけた時、私の名前が呼ばれた。
アルファベット順に呼ばれ、私の名前はYから始まるので最後の最後に呼ばれた。
私はこの道を望んで来た。
もう後には引けない。
これから私は前に進むしかない。
そして私の外人部隊の第一歩が幕を開けた。