私は「偵察・対戦車ミサイル課程」に引き続き、「装輪操縦課程」を修了し、小隊検閲や中隊検閲を無事に終えた2008年7月下旬頃、外人部隊に志願してちょうど3年ぶりに、休暇で日本に帰国することが出来ました。
3年ぶりの日本帰国で、まず最初に驚いたのが、日本の紙幣が変更されていていたことでした。
「五千円札のこの人は誰?」という状況でした。
2004年11月から新紙幣に変更が開始されていた様ですが、私が日本を出国した2005年8月当時はまだほとんど普及していませんでした。
また、成田空港から都内に向かうため成田エクスプレスに乗ろうと切符を買う時、駅員の方に「すみません、今は平成何年ですか?」と聞いていました。
さらに「あと、ちなみに今の日本の総理大臣って誰ですか?」と尋ねたので、おそらく変な人だと思われたに違いありません。
まだスマートフォンがほとんど普及していない時代、日本の情報に全く触れず、フランスに3年間過ごしたら、まさに浦島太郎状態でした。
日本語にしても、3年間ほとんど話さずに久しぶりに喋ろうとすると、上手く単語が出て来なかったり、言葉がつっかえたりして、しばらく会話が不自然な状態でした。
私がいた連隊には、日本人隊員が10名ほどいましたが、私の中隊には私しか日本人がいなかったため、しかも中隊が違うと他の日本人と話すが機会はほとんどありませんでした。
そして2008年8月、第1空挺団がある習志野駐屯地において夏祭り駐屯地祭に行くことが出来ました。
3年ぶりに原隊に帰還の報告をして、第2外人落下傘連隊の部隊章が入ったフランス国旗やベレー帽、フランス軍のレーション、フランス軍空挺記章などお土産をたくさん持って行きました。
私が外人部隊で厳しい訓練や任務に耐えて来られたのは、第1空挺団で鍛えられたおかげでもあり、また空挺隊員としてのプライドを汚さないためでもありました。
お世話になった先任や上司、先輩、同期などに帰還の挨拶や外人部隊での訓練、海外派遣についての土産話をしました。
でもそこで気になったのが、後輩達がもうすでにみんな陸曹になって空挺レンジャーのバッチを付けているのを見ていると、立派な自衛官に成長しているなと感心する一方で、何だか私一人だけ成長しないまま置いて行かれた感じがして、寂しさと悔しさを感じてしまいました。
私も彼らに負けずに、もっと頑張らないといけないなと強く思いました。
休暇後には、南米仏領ギアナに派遣が決まっていました。
ギアナは非常に過酷なジャングルでの任務に従事することになるので、気合を入れて頑張ろうと決意しました。