
5月10日の深夜、我々は敵支配地域である山岳地帯において、暗視眼鏡を使用し重武装で山地機動潜入をしていました。
数日前の車両転落事故で、かなりの負傷者が発生して小隊の人数もかなり減ってしまったので、今回の作戦が出来るか心配でしたが、なんとか現在の人員だけでも任務にあたることになりました。
今回の任務は、電子戦部隊の電子情報や情報工作部隊が獲得した情報提供者による密告などの情報を基に、タリバン兵が潜むアジトに急襲をかける作戦でした。
南北に伸びる川沿いに広がる中規模の村々のある地区に直接平地を前進せず、夜間に迂回を行い、その横に広がる山岳地帯を越えて裏側に回りこんで接近することとなりました。
そして我々の小隊は、敵のアジトがあると思われる地域の四隅に警戒展開し、米陸軍特殊部隊との混成チームで突入してタリバンを拘束するという、ちょうど映画「ブラックホークダウン」に似た作戦でした。
他にも2か所あり、他の小隊が同じように展開して、同時突入するというものでした。
アフガニスタンの山岳地帯は、日本の山の様にやさしくはありません。
ほとんど草木はなく、岩がむき出しの切り立った崖の様なところを重装備で、半ばロッククライミングの様に進んで行きます。
暗視眼鏡では、遠近感がつかめず、滑落のストレスがさらに疲労を感じさせました。
第2外人落下傘連隊は、世界でも有数の厳しい訓練や実力を誇ると自負をしています。
我々と共同作戦をする米陸軍特殊部隊もまた世界に名を馳せている部隊ですが、ヘリなどの輸送手段が恵まれた環境にいるためか、我々より山地潜入は苦戦していました。
アフガニスタンの特性上、山岳地も平地も遮蔽物など遮るものがない土地で、そこで銃撃や砲撃を受ければ、非常に危険なので、一刻も早く壁のある村の中に入りたかった。
我々は山岳地帯を越え、鬱蒼と背丈ほど生える畑の中を進んで行き、村の中で展開して配置についてしばらくすると夜が明けました。
今回の担当地域は、事前に衛生写真で見ていた想像よりずっと広い範囲で、1個小隊でカバーにするには難しい状況でした。
それでも、なんとか各分隊が東西南北に警戒配置につきました。
村の中に入ったら、左右に高い土壁の通路の様な遮蔽物が迷路のように続いていますが、その端から銃を乱射してきたり、壁の反対側から手榴弾を投げられたら回避できず、やられてしまう危険があります。
実際に他の小隊が、通路で敵の手榴弾を投げられて、数名が負傷した事案もありました。
薄暗い中にも村人がぽつりぽつりと見え始めました。
すると突然激しい銃撃が聞こえてきました。
そう遠くない所でした。
いよいよ、他の部隊も同時に突入を開始し、敵がそこら中で抵抗して、激しい市街地戦となりました。
しばらくの間、一体どれだけ撃つのだというくらいの激しい銃撃音を聞いていました。
すぐそこで展開されている戦闘に、私も早く駆けつけたいという衝動に駆られるも我々の任務は作戦地域の閉鎖と警戒である。
そんな時、ジェット音がシューと聞こえてきたと思ったら至近距離で爆発が起こった。
すぐに迫撃砲だとわかりました。
もうこの頃には幾度とない戦闘経験でそれがロケットか迫撃砲かの識別もすぐに出来ましたし、銃弾がかすめる音でどれだけ自分と銃弾との距離が近いか認識できていましたので、焦りはありませんでした。
しかし、今回は迫撃砲の着弾が近すぎました。
遠くで発射音が聞こえて、少し間がおいてシューというジェット音に似た音が聞こえて間髪おかずに着弾音。
砲撃の着弾は、空気が切り裂かれる音と腹に響く衝撃波が体を震わせます。
いつ自分の頭の上に降って来るかもしれない怖さがあり、何とも言えない嫌な感じがします。
また発射から着弾までのこの間が気持ち悪いです。
敵と味方の砲撃が入り乱れて着弾するようになり、どれが敵の砲撃で、どれが味方の砲撃なのか、判断が難しくなってきて、段々ストレスとなってきました。
そんな中でも激しい銃撃戦は続いていました。
そして我々は突入部隊の援護と離脱支援のために移動を開始しました。
アフガンの村は高い土壁で囲われた、まるで迷路のような場所で、そういった環境での市街地戦は、非常に危険なものでした。
また、市街地にはIED(即席爆破装置)がいたるところに仕掛けられている可能性があるために、一緒に来ている工兵や軍用犬がIEDの捜索や処理をしながら、我々は進んで行きました。
我々が警戒しつつ移動していると突然、銃撃とあのピューンやシューという銃弾が通り過ぎる音が聞こえました。
市街地では敵との距離はかなり近くなる上に、死角が非常に多く、一体敵がどこにいるかわからない状況が多々あります。
我々も伏せたり、隠れたりしながら応戦しました。
激しい銃撃で打ち落とされた葉っぱが、伏せている我々の上に降ってきました。
あの猛烈な数の銃弾が通り過ぎる音は、さすがの我々も本能の方が恐怖に支配されて、なかなか動けませんでした。
爆発音が何度も至近距離で聞こえて、小隊は釘付けにされました。
突入部隊からも負傷者が出て、離脱を開始しました。
P上級伍長が肩を撃ち抜かれました。
ただ、彼は自力で皆と離脱しました。
そして我々は突入部隊が離脱するまで持ちこたえ、それが完了すると我々も離脱を始めました。
その間には、F15戦闘機が凄い音を立てながらバルカン砲を掃射して援護してくれました。
高い壁や建物の窓、細い通路の奥の曲がり角など待ち伏せを警戒して進みました。
村の外に出ると、一面畑が広がる平地になり、今度は狙撃されるかも知れないという恐怖が脳裏に浮かびました。
誰に言われなくても頭は下げ、低い姿勢を取り、開けたところは相互に援護しつつ素早く通り過ぎました。
実際に敵は細い廊下の突き当たりの角から、銃だけ出して撃ってきたりしました。
無線で敵の位置が報告されてきて地図で確認すると、我々のいるところから壁一枚向こうの反対側にいると分かって手榴弾を投げ込んだりする場面もありました。
相互支援をしつつ、部隊は下がって村から離脱しました。
我々は、村から離れた位置に待機していた車両部隊と合流して乗車しました。
負傷者は無事にヘリで後送されました。
しかし、我々が装甲車に乗り込んで出発した時、別の小隊が敵と接触して戦闘が起きたと無線が入りました。
我々は援護のために接近して、車載火器の12.7mm重機関銃で支援射撃を行いました。
またアフガン国軍(ANA)のT-62戦車での砲撃支援もあり、なんとか部隊は全員車両に乗り込み離脱できました。
今回の作戦は野戦とは違って、かなりの近接戦闘となったのが特徴でした。
部隊からも負傷者が出ましたが、途中で作戦を中止せずに、すぐに私の小隊を投入した指揮官の判断はさすがと感じました。