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今回の任務は、米軍との共同作戦で、米軍の担当地域にて行動することになりました。

このメタラブという地域は、我々が担当している地域の様に、敵の掃討制圧が行われていないため、非常に敵勢力が活発な危険なエリアでした。

また、この地域の住民は米軍の爆撃などで死傷者が多数出ているため、反感をかって敵性の傾向にありました。

女性も武器を取って戦うとのことでした。

6月16日、まず前回の敵の砲撃や車両事故があったスピンクンダイへ向かい、そこで展開して、工兵による偽COP建設の陽動工作を実施しました。

それによって敵の注意を引き付けて、その深夜に移動して山越えを行い、メタラブへ潜入しました。

我々が夜間に敵地奥深くまで潜入し、目標の周囲を確保した後に、米軍特殊部隊がヘリでやって来て、村を強襲する作戦でした。

ただ今回の作戦は、体力的に最も過酷な作戦となりました。

軽歩兵装備でも一人あたり、最低でも50kg以上の装備重量で、敵支配地域である険しい山岳地帯を、これまでで最も高い標高、最も長い距離を踏破することになりました。

まさに想像を絶する過酷な山地潜入でした。

第1空挺団にいた時の100km行軍を思い出しました。

しかし、あの時と決定的に違う点は、背のうだけでなく、重い防弾アーマー(25kg)を装着して、演習場ではなく、アフガンの敵勢力下にある危険地帯で行動しているということでした。

水が尽きようが、歩けなくなろうが、死傷者が出ようが、自力で山を越えなくては、決して戻って来れないところに来ています。

救援のヘリは、危険すぎて来れない場所なのです。

切り立った絶壁の様な険しい山を重装備で登るのは、体力をかなり消耗しました。

ようやく尾根に到達して、今度は下りになるとさらに過酷になって来ました。

登りはひたすら体力との勝負でしたが、下りはこれまで以上に何も掴まるところもない絶壁の様な崖だったので、それを暗視眼鏡で降りて行くのは非常に困難でした。

暗視眼鏡では、遠近感が全く掴めないので、足場の悪い場所を降るのは、足を踏み外す恐れがありました。

私は暗視眼鏡で降るのは無理と判断して、肉眼の方が暗くても、まだなんとか歩けました。

両手、両足を使って、なんとか支えを保持して滑落を防ぎながら少しずつ降りていきました。

これが登り以上に体力を消耗しました。

目的地域に到着する頃には、みんなかなりの体力を消耗して皆疲れ切っていました。

私の分隊は、さらに前進して配置場所へ向かっていた時、重火器の銃撃音が聞こえました。

するとすぐにあちこちで射撃音があり、下の村からの攻撃の様で、激しい戦闘になりました。

我々も応戦して、疲労の極致にある体に鞭を打って、相互支援をしながら配置場所へ向かいました。

そんな中、頭上をもの凄いジェット音が聞こえたと思ったら、大きな爆発が連続して起こりました。

味方の120mm迫撃砲や155mm榴弾砲の支援射撃でした。

そして配置場所に展開して、防御態勢をとり、周囲の安全確保を完了して、あとは急襲部隊を待つだけでした。

しかし、我々はかなり孤立した場所に数名程度の人員しかない状態で、もしこれで敵の襲撃があったら、おそらく全滅する可能性がありました。

まるで映画「ローン・サバイバー」の様な状況でした。

しかも、気温50度を超える灼熱の太陽の下、日陰が全くない、まるで月面の様な場所でひたすら警戒を続け、皆渇ききっていました。

私は過酷な山越えの影響で全身がガタガタで、太ももはつって、熱疲労になりかけている状態でした。

その上、水もかなり消耗して、限られた分しかないので節約しなければならず、帰りはまたあの山を越えて自力で戻らなければならないため、非常に深刻な状況でした。

残された水も本当にギリギリでした。

自衛隊のレンジャー訓練の様に、口を濡らす程度に抑えて節約しても、それでも帰りの分が残せるか分かりませんでした。

しかし、他の仲間はかなり水を消耗していました。

ミニミ軽機関銃を持っていた仲間は、さらに弾薬も800発も持っているので、私よりずっと辛い状況でした。

このままでは、本当に命の危険があると判断して、我々は警戒と休息を二人一組で交代し、休息中は防弾アーマーを脱いで、岩の隅にある僅かな影に蛇の様に寝そべって、少しでも体力を温存することに努めました。

そして、ようやく急襲部隊がAH64攻撃ヘリの援護下、CH47大型ヘリでやって来て、村に突入しました。

こうして急襲部隊がヘリで来られるのも、攻撃ヘリが上空で援護し、我々が地上で周囲の安全化と警戒配置しているから可能なのです。

急襲部隊と敵との激しい銃撃戦がおこり、敵を制圧後には、IED(即席爆発装置)の材料となる大量の砲弾や武器などを押収しました。

作業が完了した後、急襲部隊はヘリに乗って離脱して行きました。

その後すぐに、村の東の方に120mm迫撃砲が何十発も3波にわたり砲撃が行われました。

そして、日没後に我々は離脱を開始しました。

小隊が合流し、山越えの準備に入りました。

しかし、もうみんなの水はほとんど尽きていました。

小隊長が無線で水の補給をヘリで投下して欲しいと要請するも、危険だと断られました。

しかし、小隊長もさずがに激怒して、このままでは我々は全滅してしまうと何度も交渉して、何とか許可をとり、ヘリの支援で水を投下してもらいました。

ただその水の量は、一人当たり2リットルのペットボトル1本しかありませでした。

私ももうほとんどなかったので、のどの渇きをいやし、戻る分は節約すればなんとか行けそうでした。

みんなはもうがぶ飲みして、よっぽど辛かったのだと思います。

でも、戻る分は大丈夫か心配でした。

正直、帰りの山越えの記憶はほとんどありません。

意識が朦朧として、体だけが動いていた状態でした。

車両の場所まで戻った時には、さすがに一歩も動けないほど疲労していました。

ミニミ軽機関銃を持っていた同僚は、到着と同時に嘔吐して、倒れてしまいました。

なんとか帰還出来ましたが、戻れたのは運が良かっただけだと思います。

途中、熱中症で倒れかけた人が数名いまし

た。

10kg以上もある7.62mm機関銃の射手達などは、根性で耐え抜き歩き切りました。

もし、誰かひとりでも倒れたら、その人を担架搬送して、あの山越えをしなければならず、そうなると連鎖的にもっと多くの人が倒れていたでしょう。

また、敵の攻撃があっても同様です。

正直、今回生きて帰れたのが不思議なくらいでした。

一つ間違えば、死んでいてもおかしくはなかったと思います。

今考えても、よく生きて戻って来られたと思います。

翌日、また戦死者が出ました。

今回我々がよく作戦で利用しているCOP46に敵の砲撃が着弾して、1名が死亡し、数名が負傷しました。

私の居るCOP ROCCOにも敵の砲撃が度々ありますが、私もいつ同じことになるか分かりません。

ここで生き残れるかどうかは、運次第だと私は思いました。

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