
7月18日の夜、苦楽を共に過ごしたCOP(前哨砦)ROCCOを離れ、本国に帰還することになりました。
まず、米軍のCH47大型ヘリでバグラム空軍基地に戻り、その後は地中海にあるキプロス島で数日間過ごしてから、フランスに帰国することになりました。
アフガニスタンに派遣された全てのフランス軍部隊では、直接フランスに帰国せず、キプロス島の5つ星ホテルにおいて数日間、リラクゼーションやメンタルヘルスなどのカウンセリングを受けて、戦場のストレスをクールダウンさせるプログラムが行われました。
フランス正規軍の兵士にとっては、PTSD(心的外傷後ストレス障害)の問題は深刻でしたが、私の部隊では一人もPTSDを発症した人はいませんでした。
戦地でどんな悩みや大変だったことがあったのか、軍の心理カウンセラーのカウンセリングに対して我々は「前哨砦(COP)の飯があまり良くなかった」、「前方作戦基地(FOB)の飯の方が断然美味しかったのに、我々のと比べて不公平だ」など、そんな程度の不満しか出て来ませんでした。
そのため、担当した軍の心理カウンセラーも唖然としていました。
第2外人落下傘連隊が、全フランス軍の中で最精鋭の部隊と言われているのは伊達ではありません。
キプロス島のプログラムも我々によっては、ただのバカンスでした。
私は2010年1月から7月までの約7ヶ月間で、合計28回の戦闘を経験しました。(1日に何度戦闘があっても1回として)
ここでは、軽火器、重機関銃、対戦車ミサイル、迫撃砲、155mm榴弾砲、戦車、攻撃ヘリ、戦闘機による爆撃等々、私の目の前であらゆる兵器を使用し、数え切れないほどの銃弾が飛び交う戦闘が繰り広げられた本物の戦場でした。
ここでは多くの仲間が死傷しましたが、その何倍もの敵を倒しました。
特に同じ中隊の大変お世話になったR軍曹を亡くしたことは、本当に残念でした。
私の小隊は、かなりの負傷者を出しましたが、幸い一人の戦死も出さずに済みました。
しかし、負傷者した仲間の多くは、体に重い障害が残り、元の軍務に就くことが出来なくなったり、健康な体を失うことになりました。
敵支配地域でのミッションに行けば、ほぼ100%戦闘になり、野戦では遠距離から敵の砲撃や機関銃射撃を受け、市街地戦では非常に至近距離での銃撃戦になりました。
我々が駐屯している砦(COP)にも敵からの襲撃や砲撃があったり、市街地戦ではRPG7を射たれて私の脇を掠めたり、迫撃砲弾が至近距離で着弾したり、私の小隊が敵に包囲されて正面左右からの十字砲火を受けて危なく全滅しかけたりしました。
アフガニスタンの山奥の最前線の砦に駐屯し、本当に何もない場所で、ただ食って寝て、任務へ行くという生活は本当に充実した日々でした。
私にとってアフガニスタンで過ごした日々は、これまでの人生で一番幸せだったと思います。
私は終わりが近づくにつれ、もっとここに残りたい、帰りたくないという気持ちが抑えられませんでした。
私が無事だったのは、ただ運が良かっただけでした。
でも、私はもっとここに残りたいという気持ちは今でも胸に秘めています。
COPを飛び立ち、CH47大型ヘリの後部からアフガニスタンの夜景を見ながら、私はまた必ずここに戻ってくると心の中で強く誓いました。