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私は偵察狙撃小隊の選抜試験を潜り抜け、「長距離狙撃課程」を受けることになりました。

フランス陸軍の狙撃課程は、基本的に2種類あります。

一つ目は、「分隊狙撃課程(Tireur de Precision)」、略してTPと呼ばれる戦闘小隊に所属している分隊狙撃手です。(米陸軍で言う、いわゆるマークスマン)

戦闘分隊の一員として、約800mまでの中距離狙撃を担当します。

TPはフランス製7.62mm狙撃銃FR-F2というすでに30年以上前から使われている狙撃銃を扱います。

現在は、ベルギーのFN社製のSCARに切り替わっています。

もう一つは、「長距離狙撃課程(Tireur d’Elite)」、略してTEと呼ばれ、フランス製12.7mm狙撃銃であるPGM Hecate Ⅱを使用し、所属は偵察支援中隊(CEA)の偵察狙撃小隊(Section Tireur d’Elite、略してSTE)で、約2kmの長距離狙撃を担当します。

分隊狙撃手は、歩兵中隊の戦闘小隊の一員として行動しますが、長距離狙撃手は射手と観測手、分隊長の2~3名の少数で部隊主力から離れて完全に独立して敵地深くで隠密に作戦行動を行い、敵の動向を監視し、情報収集を行います。

第2外人落下傘連隊の第4中隊では、フランス軍で唯一独自でスナイパー課程というものもありましたが、現在では行われていません。

分隊狙撃課程は、落下傘連隊や歩兵連隊、工兵連隊などでも受けられ、比較的数も多く、志願して適性があれば分隊狙撃手になるのもそれほど難しくはありません。

しかし、「長距離狙撃手課程」は、落下傘連隊(歩兵)と歩兵連隊の偵察狙撃小隊(各歩兵連隊に一個小隊のみ)に所属している隊員でしか受けることは出来ず、非常に狭き門です。

第2外人落下傘連隊の偵察狙撃小隊においては、創設されてから現在まで「長距離狙撃課程」を受けたことのある日本人は私だけの様です。

ただし、第4中隊のスナイパー課程を受けた日本人は過去3人いて、当時所属していたある日本人隊員のスナイパーがいましたが、彼は歴代日本人の中で最も優秀なスナイパーでした。

この教育を受けるには、まず「分隊狙撃課程」の修了が必須となります。

私はすでに「分隊狙撃課程」を修了していましたので、その志願者達の中からさらに選抜するため、1週間のセレクション(選抜試験)を受けることになりました。

そして、射撃技能や地図判読能力など技術面だけでなく、体力的にも精神的にも厳しい選抜を合格した、上位8名のみが射手として教育参加を許されました。

私は運よく合格して射手として教育を受けられることになりました。

狙撃は慣れていましたが、射程が約2km近くある12.7mm口径のフランス製狙撃銃PGMは、非常に優秀ですが、クセが強くて本当に大変でした。

PGM HecateⅡは、フランス陸軍の制式大口径狙撃銃であり、FR-12.7とも言います。

スコープはJ10という10倍の望遠性能があります。

詳しいことは専門的になってしまいますので簡単に説明しますと、射撃には距離、風速、風向、気温、湿度、気圧、射角などを計測して、それらに応じてスコープのクリック修正を行います。

さらにJ10というスコープ内には水平器があり、その気泡を中心に合わせつつ、ターゲットに照準し、呼吸を整え、数ミリのブレもなく射撃を行います。

消炎制退器が非常に巨大で、それで射撃時の反動をかなり軽減するので、思ったほど反動はありません。

しかし、発射時の銃声はかなりのもので、耳栓をしていなければ鼓膜が破れてしまうでしょう。

銃の重量がスコープも合わせて17kgもあるために、肩に担いで携行して長距離行軍を行います。

12.7mm狙撃銃は想像以上に扱うのが難しく、クセも強く、しかもかなりの重量です。

その一方、TRG-42 SAKOの様な338ラプア・マグナム弾を使用する狙撃銃は、重量も5~6kgほどと軽量にも関わらず、射程も1200~1500mもあり、12.7mm狙撃銃よりも非常に扱いやすいです。

主要な教育項目は、射撃(Tir)、地図判読(TOPO)、通信(Trans)、戦術(Tactique)で、その他に偽装や潜入、監視・観測、近接格闘、拳銃射撃などありました。

教育期間中は、ほぼ睡眠時間はありませんでした。

基本的にコマンドー課程と同じ様な訓練内容で、肉体的にも精神的にも非常に厳しいものでした。

ただ、こうした訓練はこれまでに嫌というほど受けてきたので、むしろ教育の本質的な部分などが冷静に見られる様になっていました。

教育の終盤、数日間続いた過酷な最終想定がようやく終了したと思ったところ、いきなり土のう袋を顔に被せられ、両腕を後ろ手にされて手錠をかけられ、訓練生の全員が捕虜となって拘束されました。

そして、廃墟の様な建物の一室に監禁されました。

そこは狭く真っ暗な部屋で、長時間ずっと膝立ちの状態を強制させられました。

ナイロン製の土のうは、空気穴が僅かに空いてい程度で、呼吸がかなり苦しいものでした。

きちんと平常心を保っていないと呼吸困難でパニックになる危険性がありました。

そこに背中から冷水を浴びせられ、寒さで震えが止まらない上、呼吸も早くなり、苦しくなる一方でした。

その上、罵声と暴行を受け続けました。

始まった時はアドレナリンが全開の興奮状態のため、痛みや苦痛に対して鈍感になり、気力も旺盛でしたが、長時間の監禁とストレス、冷水、寒さで心も体も徐々に冷えて来ました。

そうなると気力や意思力も低下し、心が挫けそうになる状態に追い込まれていきます。

長時間の監禁と拷問を受け、何も見えず時間感覚も麻痺する状態となり、徹底的に意思力を低下させたところで、一人ずつ小部屋に移動させて尋問が始まりました。

両脇を二人がかりで腕の関節を決められながら連れ出され、椅子に座らされました。

そこで初めて土のうを剥がされました。

真っ暗な中、顔にライトを照らされて相手の姿が見えない状態で、正面の男がアラビア語でなにやら尋問されました。

すると私の腕を拘束している男が通訳として尋問が始まりました。

男に尋問と脅迫を受け、答えなければ容赦なく顔を水槽に突っ込まれて溺死寸前までの拷問を何度も受けました。

無理やり顔を水槽に押さえ込まれるのは、たった一回でも尋常でない恐怖と耐えられないくらいの苦痛でした。

私は一言でも話せば、そこから相手に付け入れられると考えて、完全黙秘で通しました。

そのため、何度も水攻めの拷問を受け、顔は無表情を保っていましたが、心の中は常に限界ギリギリの状態でした。

気が遠くなるほど拷問を受けていると、急に外に連れ出されました。

大きな焚き火のところまで来ると顔を火の中に突っ込む様にされました。

私は両腕を拘束されているので、両足で必死に抵抗しました。

しばらくすると、「よし、よく頑張った」と言われて解放されました。

そして身体のチェックを受けて拷問訓練は終了し、しばらく待機する様に指示がありました。

すると隣の部屋から、他の訓練生が拷問を受けて叫び声を上げているのが聞こえて来ました。

私と同じ様なことをみんなされている様でした。

私は以前にも、コマンドー課程で同じ様な拷問訓練を受けていた経験があったので、まだ精神的にも耐性がありました。

しかし、初めてこうした拷問を受けたら、パニックになってもおかしくありません。

全員が一晩中、拷問を受けた後、翌朝に一睡もせずに射撃の最終試験を行いました。

とても充実していて、楽しかったです。

そして、私は無事に教育を修了し、偵察狙撃小隊長から直々に「長距離狙撃記章」を授与されました。

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