南フランスの大都市マルセイユから東北に十数Kmほどにあるアクスプロバンス近くのピュルビエという小さな田舎の町の外れに外人部隊の廃兵院(養護院)があります。
この廃兵院は、インドシナ戦争で多くの外人部隊兵が死傷し、その傷病軍人のためにフランス政府は、このピュルビエ郊外の広大な土地を買い、ここに廃兵院を創設しました。
施設の運営費用は、協賛団体や企業の寄付金、外人部隊兵士がお金を出し合ったりなどして賄っています。
ここには戦闘で負傷して障害があったり、家族や身寄りのない人、年老いて仕事もなく垂れ死ぬ寸前の人などを受け入れています。
戦時だけでなく、平時においてもこのように傷病者以外に行き場のない元外人部隊兵を誰でも受け入れ、衣食住の面倒を見る施設は世界で唯一ここだけです。
アメリカやフランス正規軍でも傷病者の保護や援助はありますが、戦地に派遣されなくても、ただ外人部隊に所属していただけで、その後の一生の面倒を保障してくれるのは他にはありません。
外人部隊と言えば、日本などではよく使い捨て部隊などと思われていますが、実際はこの様に非常に手厚い福利厚生があります。
ここでは広大なぶどう畑があり、そこで外人部隊ワインを製造しています。
そのワインは一般市民も購入でき、また各駐屯地が買い取って食堂で飲まれています。
その他、工芸品や農場、古書の修復、陶器作り、事務仕事、調理や給仕、博物館の管理などの仕事を老兵たちはしています。
廃兵院とあっても、ここで生活するには仕事をしなければなりません。
しかし彼らは元軍人で職人ではないので先輩から仕事を習って時間をかけて仕事を覚え、彼らのペースで体に無理のないように仕事をします。
仕事が終われば施設内のバーでお酒を飲んだり、談笑したり、医務室で治療を受けたりしています。
この廃兵院責任者は現役の外人部隊中佐です。
ここには約90人近くの老兵が暮らしています。
最高齢が90歳です。
インドシナ戦争や様々な戦争を経験した方々が多く、ほとんどの方は何かしらの障害や病気を抱えた高齢者ばかりです。
また、たとえ戦地に派遣された経験がなく、失業し、家族と離散して行き場がなく垂れ死ぬくらいならと、ここの門を叩く方もいます。
ある人は1947年に外人部隊に入隊し、1954年に除隊し、その後まったく外人部隊と離れて過ごし、2010年に突然ここの門を叩いて受け入れてくれないかと訪ねていた方もいましたが、ここはちゃんと受け入れてくれました。
50年以上経って後でも面倒を見るこの外人部隊の歴史と伝統の長さに私は感動しました。
ここは正式にケピブラン(外人部隊の制帽)を授与され、認識番号を付与された者なら年齢、時期を問わず条件なしで受け入れます。
戦場経験や負傷したという条件もありません。
ただ元外人部隊兵ならすべて受け入れます。
なぜなら一度5年間の契約にサインした瞬間に我々は外人部隊という大きな家族の一員となるからです。
家族はどんなに時間を経ても家族です。
これこそが「LEGIO PATRIA NOSTRA(外人部隊こそ我が祖国)※ラテン語」です。
我々は外国人の集団であって、なぜフランスのために戦うのか。
それはフランスに忠誠を尽くすのではなく、部隊に対して忠誠を尽くすのです。
行き場のない我々を何の条件もなしに受け入れてくれたこの部隊に感謝し、ここを去っても家族の一員であることを誇りに思う精神が外人部隊です。
自衛隊にも同じように怪我や後遺症、老後に行き場の無くなったなど、退役した自衛官を受け入れてくれる養護院が出来ればと思います。