多くの方は、若い頃どんなにやる気や目標を持っていても、長年仕事を続けているとモチベーションを保つのが難しくなってきます。
写真は、私が外人部隊時代に受けた長距離狙撃課程の時のもので、最終想定後にいきなり捕虜拷問耐久訓練に突入し、それを何とか耐え抜き、さらにそのまますぐに射撃の最終試験を行う直前の一枚です。
非常に過酷な訓練で、疲労困憊、不眠不休、いつ終わるとも分からない不安と恐怖、こうした訓練は強い目的意識がなければ、とても耐えられるものではありません。
それは自衛官であっても同じで、特に日本の様に平和な国では日々厳しい訓練をしているにも関わらず、はたして本当に役に立つ日が来るのか、そこまでやる必要はあるのかと悩んだり、また毎日同じ訓練を繰り返してマンネリを感じたりすることもあると思います。
そこで私がそういったことについて、普段アドバイスしている話を紹介します。
イソップ童話に「三人のレンガ積み職人」という話があります。
ある旅人が三人のレンガ職人にそれぞれに「何をしているのですか?」と声を掛けます。
一人目のレンガ職人は、道の脇で難しい顔をしてレンガを積んでいました。
「見ればわかるだろう。レンガ積みをしているんだ。
朝から晩まで、俺はここでレンガを積まなきゃならない。
雨の日も寒い日もどんな時も一日中レンガ積みさ。
毎日毎日、同じことの繰り返し。心も体もボロボロさ。
なんで、こんなことばかりしなければならないのか、まったくついてないね。
もっと気楽にやっている奴らがいっぱいいるというのに・・・」
もう少し歩くと、一生懸命レンガを積んでいる二人目のレンガ職人に出会いました。
先ほどの男のように、辛そうには見えませんでした。
「俺は、ここで大きな壁を作っているんだ。
この仕事のおかげで俺は家族を養っていけるんだ。
ここでは、家族を養っていく仕事を見つけるのが大変なんだ。
俺なんて、ここでこうやって仕事があるから家族全員が食べいくことに困らない。
大変だなんていっていたら、バチがあたるよ。」
また、もう少し歩くと、三人目のレンガ職人が活き活きと楽しそうにレンガを積んでいるのに出くわしました。
「俺たちは歴史に残る偉大な大聖堂を作っているんだ。
きっとこれから何百年もここで多くの人々が祝福を受け、悲しみを払うんだぜ!素晴らしいだろう!
俺は職人として、この仕事に携われることを本当に誇りに思っている」
この三人のレンガ職人は、三人とも『レンガを積む』という、全く同じ仕事をしています。
同じ仕事をしている三人に同じ質問をしたにも関わらず、目的と目標の有無でこの三人の仕事に対する考え方や取り組む姿勢は、全く違っています。
一人目は、レンガ積みがつらくて、不平不満だらけで仕事をしています。
この職人からは、目的も目標も全くなく仕事を「やらされている」という不平不満の気持ちを強く感じながら日々を送っています。
二人目は、レンガ積みで家族を養っていけると喜んで仕事をしています。
しかし、「家族を養う」という目的は持っていても、レンガ積みという仕事は、生活のためであり、もっと賃金のよい他の仕事であれば、レンガ職人にこだわっておらず、目標がないため、「生活がなり立てば仕事は何でもいい」と思っています。
三人目は、歴史に残る大聖堂を作っているという職人としての「誇り」を持ってレンガ積みをしています。
自分の仕事が、「世の中のためになっている」という誇りです。「未来のために仕事をしている」という希望を持っています。
また、「俺たち」という表現を使っていることから、自分だけの仕事ではなくチームとしての仕事に捉えています。
仕事をする目的意識や共同体の意識、そして働く喜び、自分が生きている意味を見出しています。
10年後にこの3人はどうなったか。
1人目は、相変わらず文句を言いながらレンガを積んでいました。
2人目は、賃金は高いけど危険の伴う屋根の上で仕事をしていました。
そして3人目は、現場監督として多くの優秀な職人を育て上げ、出来上がった大聖堂には彼の名前が付けられました。
同じ仕事をする時も、考え方一つで、モチベーションの在り方や仕事に対しての充実感、仕事に必要な知識や技術の探求など大きく変わってきます。
そしてそれは、周囲の人々にとっても影響を受け、仕事に対する取り組む姿勢も変わってきます。