前回の追加、補足
戦争の準備
部隊に緊急出動がかかり、戦争の準備が始まった。基地内は慌ただしくなり、休暇中の中隊は緊急招集をかけられて、続々と集まってきた。
車両のグリーン系の迷彩が、砂漠用の迷彩に急ピッチで塗られていった。塗装と整備、砂漠戦用、化学戦用装備のため夜中までガレージに明かりが点いていた。当時、砂漠戦は想定しておらず、兵隊の砂漠戦用のイエロー系の装備は無かった。結局、兵隊の砂漠用装備品類は間に合わず、グリーン系の戦闘服と装備で行くしかなかった。
当時フランスでは迷彩服はイメージが悪いとのことでグリーン一色の戦闘服しかなかった。
映画などで、砂漠なのにグリーン系の装備品を使用しているのは、そんな事情だと思う。
外出禁止令が出て、外に買いに行くことはできなかった。
通常は新兵は成績順に希望する部隊に行けたが、戦争のため、強制的に配属する部隊を決められた。
化学戦
空挺部隊を除く、外人部隊の戦闘部隊が全軍来たそうだ。なぜ精鋭である空挺部隊が来なかったのかというと、当時空挺部隊には化学兵器に対抗する車両がなかった。輸送機に乗せられないので化学戦で使用できる装甲車などを持っていなかったからだ。
それがあり、湾岸戦争終了後に空挺部隊が装甲車を使用している部隊に装甲車の訓練に来た。
新兵訓練の時に、助教の空挺の伍長が軍曹になっていた。
サソリ
移動することが決まり、荷物を入れて置いた個人用テントを撤去したらテントの下に10センチくらいのサソリがいた。巣を作って住んでいたと言って良いかもしれない。
何もないような砂漠でも生き物が生きていることを実感した。
湿度0
濡れた物がすぐに乾く。
日向は暑いが日陰はそうでもない。長袖、長ズボンが適切な服装。
日本は湿度が高いから日陰でも蒸し暑い。
戦闘携帯食
フランスは缶詰である。しかも同じ物が街のスーパーで売られているのを見た。ポケットティッシュも市販品と思われた。わざわざ軍用に作っていないようだ。だから少しカラフル。
缶詰は直接火にかけられるので、短時間で簡単に温めることができる。しかもアルミでできているから簡単に潰せて平になる。レトルトパックみたいに、食べ終えたからを燃やせないのと、嵩張るのが難点だ。
固形燃料、簡易コンロ、マッチが入っているので、何も無くても温かい食事が取れた。でもなぜかカトラリー(スプーンとか)が入っていないので、小型スプーンはいつも携帯していた。
米軍のレーションにはスプーンが入っていた。
米軍とレーションを交換したことがある。米軍はレトルトパックである。温めるために貴重な水と時間と燃料を使いたくなかったので、そのまま食べた。皆は不味いと言っていたが、私は気にならず普通に食べた。
私は不味いものを感じない非常時の舌を持っているが、平時ではバカ舌と呼ばれ、バカにされる(笑)
シャワー?
地上戦準備で何周間か戦闘服を着たままでいた。
一度だけ1.5リットルのペットボトル2本渡され体を洗えと言われた。頭から足まで水で洗う。戦う前に病気にならないように。衛生は大事だ。
トイレ事情
中隊規模で大型テントにいた時は、工事現場とかにあるような簡易トイレがあった。
分散してからは、テントの横に溝を掘り、そこでした。
地上戦が始まってからは、小銃とスコップ片手にその辺でした。近すぎても離れて過ぎてもまずい。しかも平な砂漠で遮蔽物が無いから丸見えである(笑)
蛸壺
地上戦、日中移動、夜は待機、砂地を掘るけど、砂で崩れてくる。深さ40センチくらいで岩にあたり、それ以上掘れない。
誰かが無理に岩をツルハシで打ち、ツルハシの柄が壊れた。あまり意味がないので、蛸壺を掘るのをやめた。
帰国後の休暇
湾岸戦争関係で恨みを持っている人から襲われる可能性があるから、2人以上で行動しろと命令が出た。1人では行動するなと。
今なら防刃ジャケットとかあるが、その時は厚手の革ジャンに、ダガーナイフ、催涙スプレーなどで外から見えないように武装した。
我々は憲兵隊以外には捕まらないし、存在していないので、軍に照会しても、そんな人はいないと言われるだけだった。
今は違うと思う。