1 0
Read Time:30 Second

私は、アフガニスタンにおいて2010年1月から7月まで約7ヶ月間任務に従事し、その間に私自身だけでも計28回の戦闘を経験しました。(1日に何度戦闘があっても1回として)

今回、自衛隊がアフガニスタンに派遣されたということで、実際に私が経験した戦闘の一部を紹介します。

某日深夜、我々は敵支配地域である山岳地帯を暗視眼鏡を使用し、重武装で山地機動潜入をしていた。

今回の任務は電子戦部隊の電子情報や情報工作部隊が獲得した情報提供者による密告などの情報を基にタリバン兵が潜むアジトに急襲をかける作戦でした。

南北に伸びる川沿いに広がる中規模の村々のある地区に直接平地を前進せず、夜間に迂回してその横に広がる山岳地帯を越えて裏側に回りこんで接近することとなった。

そして我々、第2外人落下傘連隊タスクフォースがその地区の四隅を警戒展開し、米陸軍特殊部隊との混成チームで突入してタリバンを拘束するという、ちょうど映画「ブラックホークダウン」に似た作戦でした。

アフガニスタンの山岳地帯は日本の山の様にやさしくはありません。

ほとんど草木はなく、岩がむき出しの切り立った崖の様なところを重装備で、半ばロッククライミングの様に進んで行きます。

暗視眼鏡では、遠近感がつかめず、滑落のストレスがさらに疲労を感じさせた。

第2外人落下傘連隊は、世界でも有数の厳しい訓練や実力を誇ると自負をしているが、我々と共同作戦をする米陸軍特殊部隊は、疲労でばてたり、足を挫いて負傷したりと明らかに我々より山地機動能力は劣っていたと思います。

私が所属する小隊が山岳地帯を越え、鬱蒼と背丈ほど生える畑の中を進んで行き、村の中で展開して配置についてしばらくすると夜が明けた。

アフガニスタンの特性上、山岳地も平地も遮蔽物など遮るものがない土地で、そこで銃撃や砲撃を受ければ、非常に危険なので、一刻も早く壁のある村の中に入りたかった。

村の中に入ったら、左右に高い土壁の通路の様な遮蔽物が迷路のように続いているが、その端から銃を乱射してきたり、壁の反対側から手榴弾を投げられたら回避できず、やられてしまう危険がある。

実際に通路に手榴弾を投げられて、数名が負傷した事案もあった。

薄暗い中にも村人がぽつりぽつりと見え始めた。

すると突然激しい銃撃が聞こえてきた。

そう遠くない所だ。

いよいよ、部隊が突入して敵が抵抗しての激しい市街地戦となったようだ。

しばらく一体どれだけ撃つのだというくらいの激しい銃撃音を聞いていた。

すぐそこで展開されている戦闘に、私も早く駆けつけたいという衝動に駆られるも我々の任務は作戦地域の閉鎖と警戒である。

そんな時ジェット音がシューと聞こえてきたと思ったら至近距離で爆発が起こった。

すぐに迫撃砲だとわかった。

もうこの頃には幾度とない戦闘経験でそれがロケットか迫撃砲かの識別もすぐに出来ていたし、銃弾がかすめる音でどれだけ自分と銃弾との距離が近いか認識できていたので焦りはしなかった。

しかし、今回は迫撃砲の着弾が近すぎた。

遠くで発射音が聞こえて少し間がおいてシューというジェット音に似た音が聞こえて間髪おかずに着弾音。

着弾音も爆発というより空気が切り裂かれる音と腹に響く衝撃波で、それは現在でも忘れはしません。

また発射から着弾までのこの間が気持ち悪い。

連続で着弾して、しかもこれが敵の砲撃なのか味方の砲撃なのかはっきりしないのがまたストレスとなる。

そんな中でも激しい銃撃音は続いている。

そして我々は突入部隊の援護と支援のために移動を開始した。

アフガンの村は高い土壁で囲われたまるで迷路のようなところで、市街地戦となれば非常に危険なところだった。

その中を前進しつつ移動していると突然、銃撃とあのピューンやシューという銃弾が通り過ぎる音が聞こえた。

市街地では敵との距離はかなり近くなる上に死角が多く一体敵がどこにいるかわからない。

皆、伏せたり隠れたりして応戦した。

激しい銃撃で打ち落とされた葉っぱが降ってきたり、あの銃弾の通り過ぎる音は恐怖を植えつける嫌な音でなかなか動けない。

爆発音が何度も至近距離で聞こえて小隊は釘付けにされた。

突入部隊からも負傷者が出て、その回収やそれを後送する部隊が待ち伏せを受けるとう混乱状態で、無線からもその動揺が伝わってきた。

無線で敵の位置が報告されてきて地図で確認すると我々のいるところから壁一枚向こうの反対側にいると分かって手榴弾を投げ込んだりする場面もあった。

まさか現代戦で手榴弾を投げる機会があるとは自分でも驚いていました。

とにかく移動間で高い壁や建物の窓、細い通路の奥の曲がり角、村の外は畑になった開けた平地でそういったところで狙撃されるのではいかという恐怖は誰しもが考えていた。

誰に言われなくても頭は下げ、姿勢は低くするし、開けたところは援護しつつ素早く通り過ぎる。

実際に敵は細い廊下の突き当たりの角から銃だけ出して撃ってきたりしてきた。

そして負傷者を搬送してヘリで後送し、相互支援をしつつ部隊は下がって村から離脱して離れた位置に待機していた車両部隊と合流して撤収。

しかし私が装甲車に乗り込んで出発した時、別の小隊が敵と接触して戦闘がおきて我々が援護のために接近して車載火器の12.7mm重機関銃で支援射撃、またアフガン正規軍(ANA)のT-62での砲撃支援でなんとか部隊は全員車両に乗り込み離脱できた。

今回の作戦は野戦とは違ってかなりの近接戦闘となったのが特徴でした。

部隊からも負傷者が出ましたが途中で作戦を中止せずにすぐに私の小隊を投入した指揮官の判断はさすがと感じました。

Happy
Happy
0 %
Sad
Sad
0 %
Excited
Excited
0 %
Sleepy
Sleepy
0 %
Angry
Angry
0 %
Surprise
Surprise
0 %

Average Rating

5 Star
0%
4 Star
0%
3 Star
0%
2 Star
0%
1 Star
0%

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です