私は2005年8月にフランス外人部隊に志願し、選抜試験合格後にフランス南部カステルノダリにある第4外人教育連隊に着隊しました。
第3新兵教育中隊にて、約17週間の新兵教育課程を受けることになりました。
教育期間中は、訓練兵の中でフランス語が話せる人間と話せない人間がバディを組んで常にフランス語の習熟のサポートをします。
当初の6週間は、駐屯地から離れた訓練所で集中合宿の様な基礎訓練が始まります。
武器の取り扱い、基本教練、服務規則、地図判読、戦闘訓練、衛生、格闘、通信、行軍、NBC兵器等々の課目があります。
フランス語の授業もあり、ヨーロッパ、南米、アフリカ圏は4ヶ月でも話せる様になりますが、日本人、中国人、韓国人などアジア圏やロシア語圏の人にはこんな短期間で習得は不可能です。
教育中は腕時計を禁止され、訓練指示はその都度示されたり、突然呼び出されたり、常にいつ始まるのか、何をやるのか、どうなるのかが予定も全く分からない状態でした。
さらに指示された事にしても、まったく言葉が分からないので、我々が感じるストレスは相当なものでした。
また、通常の訓練以外にも夜中に叩き起こされて、丸太を担いで山を走らされたり、冷たい池を泳いでから障害コースを走ったり、びしょ濡れで凍えながら長時間に渡って銃を両腕で上げて支え続けたり、肉体的にも精神的にも強いストレスを受けます。
そんな激しい訓練が行われている間でも、不寝番が毎晩あるので睡眠時間も削られて寝不足が続き、食事量も少なく、途中で食事を強制的に中断させられて追い出されたりすることもあり、みんな体重が極端に減少していました。
毎朝10~15Kmのランニングや障害物走があり、毎朝金曜には行軍があります。
行軍は第1週目が8kmで、第2週目は15km、第3週目は20km、第4週目は25km、第5週目に「マーチ・ケピブラン」という50Km行軍を踏破します。
外人部隊の行軍は自衛隊とは違い、非常に歩く速度が速く完全武装背のう約25kgで平均時速5~6kmで、速いと時速7kmでほぼ小走りか競歩状態です。
休憩も原則1時間に5分ほどですが、必ずしもあるとは限らず、2~3時間歩き続けることもあります。
しかも、事前にどのくらいの距離を歩くのか、今どの辺で、いつまで歩くのかは、全く教えられませんでしたので精神的にもかなり大変でした。
また、半長靴には中敷きがそもそもない上に行軍速度が速いので、靴擦れやマメが出来てかなり大変です。
自衛隊経験者は、この行軍速度が合わず苦しみます。
(自衛隊の場合は速くても時速4kmです)
私が25km行軍した時は駐屯地まで戻るコースで、駐屯地まで戻るコースで早く着けばその分早く終わるからという理由なのだろうか、休憩なしで3時間くらいほどで踏破しました。
ほとんど走っていました。
もちろん脱落者が出たり、遅れた同期の背のうを担いで走ったりしました。
「マーチ・ケピブラン」の後に正式に外人部隊の象徴である白い制帽であるケピブランを被るセレモニーがあります。
入隊当初は志願兵(アンガジーボロンテール)という階級だったのが、この時点で二等兵(レジョネア)となり正式に外人部隊兵となります。(とは言ってもまだ教育はまだ3ヵ月残っています)
その後は、実弾での基本射撃や戦闘射撃、基礎爆破(実爆)、手榴弾や小銃てき弾の実爆・実射、山岳訓練、段階的戦闘訓練、連隊演習、そして「レッド・マーチ」と呼ばれる100km行軍と各種課目テストがある総合訓練があります。
体力テストは、腕立て伏せ、腹筋、スクワット、懸垂、6mの綱上り(腕のみ)、12分間走、障害物走、泳力テスト、8km走(迷彩服と半長靴)、8000m背のう走(背のう11kg)などがあります。フランス語のテストもあります。
最終的に総合成績順に配属連隊の希望をして行きますので、行きたい連隊は成績順の早い者勝ちです。
第2外人落下傘連隊は世界的に有名ですので、教育当初は希望者は多数いますが、教育後半にはほとんど希望先を変更して本当に熱望している人だけが残ります。
教育で相当きつかったのに、それとは比較にならないほど大変な地獄の落下傘連隊に行こうとは考えられなくなります。
訓練、規律、部隊生活、体力、全てにおいて非常に厳しく、外出も不自由で猛者揃いの落下傘連隊は皆が敬遠し出します。
従って、落下傘連隊と他の連隊では、兵士としての能力は決定的に違います。
2006年1月、私は新兵教育課程修了後、希望通り第2外人落下傘連隊に配属されました。
そして、すぐに空挺教育隊にて、基本降下課程に入校することになりました。