
最初の1か月は、まだ土地や環境に慣れていないため、砦の周囲のパトロールや砦の警備、周辺の村々に回って情報収集などを行い、少しづつ環境に慣らしていきました。
この場所は標高も高く、まだ寒い冬の時期なので、タリバンなど敵勢力も活発な活動はせずに休止している現状で、あまり敵の兆候は当初は見られませんでした。
それでも時々、敵の散発的な銃撃が聞こえたりなど緊張する場面も多々ありました。
そして2月6日の11時頃、砦から少し前方の小高い丘の上にあるOP(前方監視所)で銃撃や爆発音が聞こえてきました。
どうやら敵の機関銃射撃やRPG7の攻撃を受けた様でした。
すぐに砦にいた我々は外壁沿いに緊急展開して全周囲防御の態勢を取りました。
すぐにQRF(即応対処部隊)が出撃して行きました。
私の小隊は外壁沿いで警戒についていました。
そして、戦闘が開始され、我々も12.7mmで反撃を行ったり、迫撃砲による射撃などで応戦しました。
その後、しばらく膠着状態が続き、14時頃には落ち着いて、警戒は解除されました。
そして私の小隊は今夜、外に出て戦闘があった地域を徒歩でパトロールすることになりました。
昼に戦闘があったので、みんな非常に緊張していました。
しかも運の悪いことに今夜は酷い濃霧で、暗視眼鏡を使用しても1m先も満足に見ることが出来ないほどの状況でした。
それでも我々は22時頃に出発しました。
もの凄い霧でほとんど視界がなく、その上に湿度が高く、暗視眼鏡が曇ってよく見えませんでした。
私は最後尾で後方警戒をしながら、前進しては停止を繰り返しながら進んで行きました。
地面はぬかるんでいて、足場も悪くて非常に厄介でした。
深夜になるとさらに濃霧が酷くなり、これでは何も見えないために砦に引き返すことになりました。
砦の四方には監視塔があり、そこからIR(肉眼では見えない赤外線)の大型ライトで周囲を照らしていました。
それがあまりに強すぎて暗視眼鏡では眩しすぎて視界不良となり、仲間とはぐれそうになった時はかなり焦りました。
そして、小隊先任軍曹(小隊陸曹)がライトが眩しすぎるので消すように無線で砦の警備本部に連絡しました。
しかし、無線で思うように連絡が取れず、手こずっているといきなり銃声がなりました。
こんな濃霧の状況で、敵と戦闘になるのかと思っていると、照明弾が上がり、その後には機関銃の掃射が我々の方に襲って来ました。
これはどうやら砦の方向から射撃が行われているので、おそらくは友軍相撃の状態になっていました。
我々はその場に全員伏せて身動きが一切出来ない状態となりました。
砦に前進しようと縦一列に並んでいたので、掃射による被害はなんとか奇跡的にギリギリ回避出来ました。
私のほんの数メートル先を機関銃の曳光弾の光が何度も通り過ぎて行きました。
しかも静寂の夜を打ち破るその射撃音が一段と恐怖をあおって、我々は撃ち返すことも出来ず、無力に顔を地面こすりつける様に伏せていることしかできませんでした。
この時のことは、これまでの人生で一番怖かった体験でした。
これまで銃弾が体を掠めるような訓練を散々やって来ましたが、訓練で外すつもりで撃っている弾と、本気で当てるつもりで撃っている弾では、まったく感じ方が違うことを理解しました。
敵だったら反撃など戦うことが出来ましたが、友軍相撃では撃ち返すことも出来ず、何も出来ない状態で撃たれ続ける恐怖は尋常ではありませんでした。
しばらくするとなんとか連絡がついて、射撃が収まると一番後ろから異状がないか確認して報告していきました。
その後、何とか全員無事に帰還する事が出来ました。
まさか、アフガンに来て最初の命の危機が敵からの攻撃ではなく、味方からの攻撃だったのが何とも残念な結果でした。
どうやら、射撃をして来た監視塔の仲間は何かの連絡の不備で、我々が外に出ていたことを申し送られていなかった様でした。
しかも、まだアフガンに来て間もなく、日中に戦闘があってピリピリしていた時に、気付いたら外に得体の知れない集団を見かけたら、それは恐怖に駆られてもおかしくはない状況でした。
しかし、これはあってはならないミスですので、今後は再発防止に努めなければならない事案でした。
米軍でも諸外国においても、友軍相撃は度々発生しています。
それで亡くなるケースもあり、非常に重要な問題であるので、訓練ではこれを防止するための対策を怠ってはいけないことを身を持って体験しました。